天職鉄道の夜明け

元リクルート社員によるモヤモヤを解消し、理想の自分を手に入れる方法

天職銀河鉄道の車掌になるまでの経歴

f:id:nakgee:20190216144919j:plain

生まれて~中学時代

恥の多い人生を送ってきました、とか、スポーツにか脳がなく熱中し、挫折をきっかけに、、とかなんて何もない、本当に何の特徴もない、ただただ普通。イケメンでもなければ、不細工な訳でもない、足が速いわけでもない、遅いわけでもない。面白いことも言えない。とにかく普通。ミスター平均点。金持ちでもなければ貧乏でもない。

 特に壮絶な経験もなく、親から愛されて育った。何もドラマが起きない、誰からも注目されない人生なのかな、と自分でも思うくらい普通だった。

 

f:id:nakgee:20190226224816p:plain

中学校に入っても普通。成績は5段階中オール3。なんとなく入った陸上部でも普通。

しかし、ずーっと普通だった僕に大きな転機が訪れる。それは中2の時。

 ひょんなことから塾に行きだし急に成績が上がったことだった。

 

親から勉強しろ!と言われたことがない放任主義だったたので、特に勉強が大嫌いというわけではなかったのが良かったのか、親しい友人が行っているからというだけで塾に行き出すと、急にオール5に近いくらいの成績になった。

特に英語と数学は学年トップを走っていた。周りからの反応も変わってきて、色々意見を求められたりすることも増え、学級委員の下の班長は常にやる立ち位置となった。

 進研ゼミのサクセスストーリーの漫画かのように僕は充実した日々を過ごしていた。

 

「俺って普通じゃないかも、イケてるんじゃない?」

しかし、そんな日々も長くは続かず、鎖骨を骨折をし体育に出れずに内申点に響くかつ、試験当日にインフルエンザになるという悲劇の高校入試失敗によって、県内随一の進学校に落ち、落ちこぼれが集うマンモス私立高校に進学した。

やっぱり僕はイケていない、普通の高校に進学することなった。 やっぱり僕は普通だったのだ。瞬間風速的に、たまたま賢くなった時期あっただけだったのか。

 

高校時代

俺はこんな高校に入るべき生徒じゃないと歪んだ思いで始まった高校生活は堕落して過ごしていた。勉強はせず、赤点ばかり。部活もハンドボールやったり、バイトしたりとフラフラ。2年からは今でも付き合いがある仲良しのメンツにも出会い、ぷらぷらに拍車がかかる。普通どころか、劣等生に成り下がっていた。

 

そんな時に今後の人生の方向性を決定づける転機が起きる。

 

当時兄が買ってきたノートパソコンでネットサーフィンをしてたところ、偏差値大好き 斎藤さん というブログに出会った。神戸大学の夜間の学生が東大を目指すストーリーなのだが、当時流行ってた世界に一つだけの花なんてクソだ、世の中オンリーワンじゃない、ナンバーワンなならないとダメだみたいな、世の中は学歴社会だ!みたいな内容だった。

 

これを見て衝撃を受けた。学校はゆとり教育に基づき、やりたいことをやろう!とキレイ事しか言わない。しかし、社会の実態は学歴社会なのだ。みんな他人の人間性よりも表面的なラベルしかみたい。その1つが学歴だ。学歴は一生付きまとう。中学時代の輝きを完全に失い、堕落している自分。その堕落した末には、明るい未来はない。周囲に流されて、テキトーな大学に行くことが間違いなく起こる。このままでは行くでろう名もない大学名を一生背負って、学歴コンプレックスになるだろう。中学の頃は頭良かったんだ!とか虚勢を張る。強さの意味を履き違えているヤンキーと同じ大学。それだけは絶対に嫌だ。自分は、お前らとは違う。そんなひねくれた、負の感情がバーストした。僕は未来を変えることを決意。

 

そして僕は早稲田大学に行くことを決意

とにかくブランドが欲しい。普通な自分を輝かせる肩書が欲しい。

 

暗記が苦手だったこともたり、一番コスパが良い、私立文系、政治経済受験にした。ここで早くも慶応と上智、国立を捨てる。狙うは早稲田。高2の夏から僕は3教科しか勉強しなかった。逆にこれじゃないと、後1年半で早稲田に合格するレベルまで成績を上げることは難しいと考えていた。

次の日に部活を辞めて、勉強を開始。とにかく過去問を解くと決め、高二の夏から1人大学受験対策が始まった。勝手に受験生でもないのに、センター試験とかも問題解いたりしていた。

 

両親、兄は不思議がっていた。予備校代についても最初は自分でアルバイトをして払っていたが、後半戦は頑張りを認めてくれて予備校代も出してもらった。

今まで勉強しろ!と言われたこともあまりなく、急にどうしたのか?早稲田なんて合格する訳ないだろう、と言われた。

 

勉強を始める前の偏差値はもちろん40とか、そこらへんだったが、中学時代のゲーム感覚で問題を解きまくっていると段々勉強が面白くなってきた。週に3回以上は頭がさえわたりまくる感じで勉強に集中していた。

 いつもアジカンのMDを爆音で聞きながら、図書館のラウンジやカフェで勉強しまくっていた。 そして、早稲田大学の全学部といくつかマーチを受けて、 

政経営、明治経営、早稲田教育 

の3つに受かった。早稲田受かった時は飛び跳ねて喜んだ。見たか!!っという気分。 

喉から手が出るほど欲しかったブランド。それを努力の末掴むことが出来た。

 

大学時代

憧れていた早稲田大学。もう普通ではない、私学の雄と言われる一流大学の学生になれた。スーパーサイヤ人になった気分だった。

しかし、井の中の蛙だった僕は周囲の頭の良さ、コミュニケーション能力に脱帽。新歓合宿とかに参加してみるも、拗らせた性格からか、冷笑的な態度を取り、定着メンバーになることはなかった。

そこで、米国に交換留学する。一言だと、世界が広がった1年だった。20才という多感な頃に見聞を広めるために異国に滞在することはおススメだと思う。

 

帰国後、親から留年は許されず。すぐに就職活動を開始。語学に自信があっので、安直に総合商社、大手メーカーを受験するもリーマンショックの2年後という就職氷河期のど真ん中もあり、全滅。

受けても受けても落ち続ける。あれ?早稲田で留学経験者ならどこにでも受かるって聞いていたなのに。世の中学歴社会って聞いてて学歴取ったのに。。僕も精神状態はギリギリ。追い詰められる。

普通に暮らすどころか、フリーターになってしまう。

しかし最終的に、地銀と5年在籍することになるミスミに内定を頂く。

 

内定者はマーチがゴロゴロ。あれ?俺あんなに苦労して早稲田に入ったのに、マーチで入れる会社に入っちゃった。誰も褒めてくれない社名だし。あれ?あれ?

 

社会人①(イケイケ若手社員編)

高校に入学した時と同じような「自分はもっと上に行けたはずだ・・」というねじ曲がった気持ちで機械系商社ミスミに入社した。

もちろん、ネジなどの機械部品になって全く興味はない。「とりあえず3年は働いてみるか」という安直な気持ちで社会人生活がスタート。

 

最初の半年は、いわゆる新入社員のマナー研修や、倉庫での部品のピッキング作業研修等でアルバイトと同じような感覚でダラダラと過ごしていた。きっかけは2年目の春で当時急成長していたベルトコンベヤ事業の事業開発担当としてアサインされたこと。

 

上司から、「どうすればこの事業を成長させれるか、考えて、実行して」というムチャぶりと言う名の大きな裁量を受け、今まで堕落していた自分を見つめなおし、「やってやろう!」という気持ちになった。

 

しかし、今まで堕落していたツケは重く、エクセルも出来なければ、戦略なんて作ったこともない。とにかく毎日お客さんの声を聞いて回って、先輩社員と飲みに行って仲良くなって色々と教えてもらい、毎日怒られながらも、受験勉強の時の頑張りを思い出し、仕事を覚えることに奔走した。

 

手を挙げれば何でもやらせてもらえる社風だったため、先輩、上司の手厚いサポートももらいながら物事を着実に前へ前へと進めることが出来た。

 

やったことは大きく2つ。

・新商品の開発

・韓国、中国の海外工場の立ち上げ

これらを1人でやり切り、完遂させることが出来た。

 

これらの実績が評価され、上海への海外駐在が決定。

このタイミングで、当時付き合っていた彼女とも結婚。

全ては順風満帆のように見えた。

 

社会人編②(上海での挫折とリクルート転職)

意気揚々と海外駐在員になったものの、半年経過したごろから、不穏な雰囲気に。詳細は割愛するが、(せざるおえない)1年も経過しないまま帰国が命ぜられます。妻も会社を辞めてまでして付いてきてもらったのに。。。

 

今までの頑張り等の糸がぷつっと切れてしまい、転職活動を中国にいながら始める。そこで縁があり、リクルートキャリアに入社。初めての営業職と、久しぶりの国内の仕事で、最初は新鮮だった。

 

f:id:nakgee:20190226224705p:plain

 

最初はいわゆるどぶ板営業的なことも2か月経験し、辛い状況ではあったものの、周囲の人の仲良しな雰囲気や顧客に真っすぐなところが気に入り、すぐに馴染めていたと思う。自分の得意な製造業領域ということもあり、圧倒的な成果を出し始める。1年間で5回も表彰される感じになった。うち1回は本部表彰という形でキレイなトロフィーまで頂いた。その功績が評価され、入社1年でリーダーに昇格し、4名の部下を持った。

 

しかし、やはり海外の思いが捨てきれず、リクルート本体のCVC(コーポレートベンチャーキャピタル)に出向の公募があり、応募し運よく通過。1年間、インドのベンチャー企業の投資事業に携わる、というアクロバティックなキャリアを歩む。

 

 社会人編③(現在)

訳あって今は大手外資企業で勤務しながら、副業で人材紹介をやっている。紆余曲折はあったが、学歴とかは気にならない会社で大変な思いはありながらも勤めてる。同世代と比較して高い年収を稼げている。しかし、正直、いろいろな面はまだ商社はマスコミに行った連中には勝てていないと思う。また西武ライオンズ秋山翔吾は、小中学校の同級生でコイツにも色々な意味でぼろ負けだ。しかし、僕が彼らに絶対に負けない点がある。それはキャリアに迷った人たちにアドバイスを送る知識と経験、その人を本気で応援したい気持ち、行動だ。

転職や就職に関して、正解はない。しかし、教えてくれる人もいないのはおかしいと思う。「こんなスキルがあるのに!」と思うことも、「こんな人がなぜこんなに良い環境に?」ということも多々ある。社会は不平等で凸凹だ。スキルがある人が活躍できる社会、「適材適所の社会」を実現したい。日々対峙させていただく求職者だけではなく、このメディアを通じて、1人1人が自己実現をする社会を実現したい。

 そして多くの方が、天職につき、悩める日々の夜明けを向かえれる、そんな列車の旅、銀河鉄道を楽しんで頂ければとてもうれしい。